祖師・高僧の部

弘法大師

弘法大師は、讃岐の国多度津郡屏風ケ浦すなわち今の善通寺に誕生し、諱を空海と呼び、号を遍照金剛と称した。十八歳の時京に上って大学に入り、一般の学問を修めつくし、みずから三教指帰三巻を著わした。二十歳の時剃髪して沙弥戒を受け、その後、大師は遣唐使の勅命を受け入唐した。その時大師は三十一歳で、長安にとどまり、恵果阿闍梨に謁して金剛界灌頂を受け、さらに胎蔵界灌頂を済まして伝法大阿闍梨の職位を受け、真言宗の極意を得、また密教の諸経典および仏具を相承した。帰国後、大師は、京都に入って高雄山に迎えられ、国家のために修法を許された。東大寺、ついで乙訓寺の別当となり、高雄山上に結縁灌頂を行い、伝教大師等に授戒し、高野山を開いて修禅入室の地と定め、日本真言宗の開祖となって、国家社会に偉業をのこした。のち、弘法大師の諡号を賜わった。大師の著書はじつに多く、そのおもなものは即身成仏義、十住心論十巻等、百五十余部二百余巻である。