祖師・高僧の部

日蓮聖人

安房国東条郷(今の小湊)の生まれ、幼名を善日麿と称し、十二歳の時千光山清澄寺に登り、道善の室に入って密学を修め、のち、剃髪して、名を蓮長と改めた。以来経論を精究し、無量義経に質疑をいだいて、鎌倉に遊学し、比叡山の尊海に会い、伴われて叡山に登り、円頓の学をきわめて横川の定光院を領した。以来三井の園城寺、洛東の泉湧寺、南都の東大寺等に登って各宗の秘決を修め、ついに、故郷に帰り、清澄山に登って東天に朝日を拝し題目を高唱し、ここにはじめて日蓮の一宗を開いた。ついで鎌倉の松葉ヶ谷に庵を結び、立正安国論を著わして幕府に献じたが、民衆を惑わせるとして伊豆の伊東に流された。のち赦免となったが、以来ますます各宗の法義を嘲罵し、かつ幕府を攻撃したので、再び、佐渡に流刑された。赦免後、甲斐に入り、身延山に住し、ここに法幢をきずき、法華の弘通をはかり、かつ著述に力を注いで教義の宣揚につとめた。六十一歳を最後とし、遺骨は身延山に葬られた。