善童鬼妙童鬼(前鬼後鬼)

15462

法然 善導 一対 座像 3.0寸 柘植彩色

(15462)
一対
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法然上人

法然上人は美作の国、押領使漆間時国の一子で、幼名を勢至丸といい、九歳の時、父の遺命により出家を志し菩提寺の観覚の弟子となった。のち十五歳の時叡山に登り持宝院の源光をたずね、源光の推薦で、功徳院の皇国阿闍梨の室に入り、天台の学を修め、また黒谷の叡空の室に入って密教学を修め大乗円頓の大戒を受け、二十四歳の時にはあらゆる仏学をきわめつくし、また南部の碩学を歴訪して諸宗の奥義に達した。上人は、智慧第一の法然房と称された。のち、師の叡空より「往生要集」をさずかり、善導の「観経四帖疏」を読むに至って、念仏修行の功徳を知り、専修念仏の宗義をとなえ、ついに、浄土の一宗を開創した。以来上人はさかんに専修念仏法義を談じ、上人の徳風は四方におよんで南都北嶺の学匠のその門に入るものも多く、念仏の一門は日々門前に市をなしたといわれている。しかしその結果、上人は南都北嶺の僧徒より嫉妬を受け元久元年には念仏停止の訴願をこうむり、承元の法難を受け、念仏停止の命がくだり上人は土佐に流罪となった。また上人は弟子綽空と関白兼実公の娘玉日姫と妻し、弥陀本願の易行易修を示して、肉食妻帯の新例を開いた。上人は、赦免後、ふたたび京師に入って大谷の禅坊に住し、もっぱら念仏をとなえて、自行化他の行を怠らず、浄土の一門はますます栄えた。のち、その徳を賞し、円光大師の謚号を賜わった。

善導大師

善導ははじめ明勝法師に投じて出家し、まず法華、維摩を誦して具足戒を受けたが、教門の多種多様であるのは、機によるからであることを感じ、妙開律師とともに大蔵を調べた結果、観無量寿経を手にし、解脱の道を求めた。次いで道綽法師が晋陽で浄土の法門を説いていることを聞き、難路を辿って晋陽に往き、禅師に謁して観無量寿経をさずけられ、定に入って七日ついに往生の相を感得するに至り、次いで堂に入っては合掌胡跪して一念に念仏し、出でては人のために浄土の法を説き、道俗を教化し、行道礼仏すること三十余年、その間に阿弥陀経を写すこと十万余巻、浄土変をえがくこと三百余舗、あるいは堂塔伽藍を修繕し、つねに衣鉢を変えず乞食して、得るところの浄財はことごとく人に施して楽しみとした。善導の感化を受け、念仏三昧によって往生をとぐるものその数を知らなかった。その徳はあまねく道俗におよびその名声は千里に響いた。師は寿六十九歳をもって寂された。善導が在世の時念仏をとなえると、声々口から光を出す瑞があったので、高宗は師のために額を賜い、光明寺と名づけたところから、後世善導を称して光明寺の和尚と称した。

柘植(ツゲ)
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法然上人 善導大師
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