阿弥陀五尊図

阿弥陀三尊の場合は阿弥陀如来を中心に観音菩薩・勢至菩薩の脇侍を配し、五尊では更に法然上人、善導大師を配す。

三開仏龕

十三仏は胎蔵界曼荼羅の十三大院を形どり作られたもの。十三仏は五智仏(大日、釈迦、阿シュク、宝生、阿弥陀)、四菩薩(普賢、文殊、観音、弥勒)及び天住の虚空蔵、並びに地住の地蔵、薬師、不動明王を配置する。

阿弥陀聖衆来迎図

臨終の信者を極楽浄土へ迎えるため、阿弥陀如来と聖衆が楽器をならしながら天空から降りてくるさま。阿弥陀如来は観音・勢至菩薩の先導のもと、二十五菩薩を従えている。阿弥陀如来聖衆来迎図は来迎引接曼荼羅または阿弥陀二十五菩薩来迎 […]

三宝尊像

正式には「一塔両尊」と呼ばれる日蓮宗の本尊形式である大曼荼羅の中心部分を具象化したもの。中央に宝塔、左側に釈迦如来座像、右側に多宝如来座像を配置している。宝塔は「法華経見宝塔品」によるもので、宝塔が地より湧出して虚空にか […]

玄奘三蔵

中国洛州(現・河南省)の出身、姓は陳、父は慧といい、玄奘は四男。次男は出家し、浄土寺に住しており、涅槃経や摂大乘論を講ずる機会にあい、ことごとを会得したため、仏学研鑽を志す。当時、隋代末期にあたり、世情は混乱しており、諸 […]

天台大師(智者大師)

智者大師は梁の大同四年に生まれ、七歳の時すでに普門品を暗誦し、十五歳の時長沙に至って仏像を拝し、十八歳で初志を果たした。はじめは慧曠にしたがって律典を学び方等に通じ、のち法華経、無量義経、普賢観経等を学んだが、同門の法喜 […]

智証大師(円珍)

讃岐国(香川県)金倉郷に弘仁5年(814年)に誕生。多度郡弘田郷の豪族・佐伯一門のひとり。空海(弘法大師)の甥(もしくは姪の息子)にあたる。生誕地は善通寺から4kmほどのところ。幼少から経典になじみ、15歳(数え年、以下 […]

日蓮聖人

安房国東条郷(今の小湊)の生まれ、幼名を善日麿と称し、十二歳の時千光山清澄寺に登り、道善の室に入って密学を修め、のち、剃髪して、名を蓮長と改めた。以来経論を精究し、無量義経に質疑をいだいて、鎌倉に遊学し、比叡山の尊海に会 […]

忠宗大神

感謝と感激の心で誠を尽くすこと、すなわち「まること」の精神でもって生きることを教える黒住教の教祖。

日隆上人

日隆上人(1384~1464)を派祖とするものは、八品派、本門法華宗、法華宗本門流などと呼称される。1400年代初め四条門流から細川満元の外護を得て独立、本厳寺、本興寺を開いた。八品主義の折伏弘通を行う。

角大師

慈恵大師が疫病神退散のため、自ら観念三昧に入り降魔の姿に変えたもの。流行病、疫病の神様。

宮本武蔵

「兵法の理にまかせて、諸芸、諸能の道をなせば、万事において、我に師なし」二天一流の創始者、剣豪・宮本武蔵は武芸のみだけでなく、布袋、達磨、不動明王など多くの仏教にかかわる作品や、「五輪書」を残している。

蓮如上人

名を兼寿(幼名は布袋麿)、号を蓮如または信証院と称し、応永22年京都東山大谷に生まれる。父は本願寺第7代目円兼上人。長禄元年、本願寺第8代となり、各地を行化して周り一宗の復興を図った中興の祖。明治天皇より慧灯大師の諡号を […]

一遍上人

時宗の開祖。延応元年伊予生まれ。父は河野道広、幼名を松寿丸といい、15歳の時母を亡くして剃髪し、名を隋縁とした。当初、天台の学を学んだが、後、筑紫の大宰府に行き 聖達の門に入り念仏の奥義を学び、名を智真と称した。弘長3年 […]

理源大師

832(天長9)~909(延喜9)真言宗小野流の元祖。当山派修験道祖、醍醐寺開祖。光仁天皇の孫。847年、貞観寺真雅の下で出家し、853年、東大寺で具足戒を受け、874年、醍醐寺を開山。如意輪、准胝観音を安置し密教修行の […]

栄西禅師

明菴 栄西(みんなんえいさい・ようさい、諡は千光国師、葉上(ようじょう)房とも称した。永治元年4月20日(1141年5月27日) – 建保3年6月5日(1215年7月2日))は、仏教宗派・日本臨済宗の開祖、建 […]

法然上人

法然上人は美作の国、押領使漆間時国の一子で、幼名を勢至丸といい、九歳の時、父の遺命により出家を志し菩提寺の観覚の弟子となった。のち十五歳の時叡山に登り持宝院の源光をたずね、源光の推薦で、功徳院の皇国阿闍梨の室に入り、天台 […]

龍樹菩薩(龍猛)

龍猛、龍勝ともいう。2世紀中葉~3世紀中葉。南インドのバラモン出身。大乗経典の注釈書(大智度論など)を多くを著し、後の仏教に影響を与え八宗の祖師と仰がれる。密教では南インドの鉄塔を開いて、両部大経を金剛サッタから授けられ […]