阿弥陀聖衆来迎図

臨終の信者を極楽浄土へ迎えるため、阿弥陀如来と聖衆が楽器をならしながら天空から降りてくるさま。阿弥陀如来は観音・勢至菩薩の先導のもと、二十五菩薩を従えている。阿弥陀如来聖衆来迎図は来迎引接曼荼羅または阿弥陀二十五菩薩来迎 […]

三開仏龕

十三仏は胎蔵界曼荼羅の十三大院を形どり作られたもの。十三仏は五智仏(大日、釈迦、阿シュク、宝生、阿弥陀)、四菩薩(普賢、文殊、観音、弥勒)及び天住の虚空蔵、並びに地住の地蔵、薬師、不動明王を配置する。

天狗面

日本固有の山の神の一。また、鳶や烏と関係の深い妖怪の一。修験道の影響を受け山伏姿で鼻が高く赤ら顔、手足の爪が長くて翼があり、金剛杖・太刀・羽団扇をもつ。神通力があり、飛翔自在という。

三宝尊像

正式には「一塔両尊」と呼ばれる日蓮宗の本尊形式である大曼荼羅の中心部分を具象化したもの。中央に宝塔、左側に釈迦如来座像、右側に多宝如来座像を配置している。宝塔は「法華経見宝塔品」によるもので、宝塔が地より湧出して虚空にか […]

五智如来

大日如来の総徳を分けて四仏に現し、合わせて五仏とし、諸菩薩・諸明王の根本とする。金胎両部曼荼羅の中央大日如来と四方の四仏のこと。金剛界曼荼羅では大日・阿シュク・宝生・阿弥陀(または観自在王)・不空成就(または釈迦牟尼)。 […]

釈迦三尊

釈迦三尊は釈迦如来を中心に両脇に文殊菩薩、普賢菩薩を脇侍とする。

法然上人

法然上人は美作の国、押領使漆間時国の一子で、幼名を勢至丸といい、九歳の時、父の遺命により出家を志し菩提寺の観覚の弟子となった。のち十五歳の時叡山に登り持宝院の源光をたずね、源光の推薦で、功徳院の皇国阿闍梨の室に入り、天台 […]

忠宗大神

感謝と感激の心で誠を尽くすこと、すなわち「まること」の精神でもって生きることを教える黒住教の教祖。

善導大師

善導ははじめ明勝法師に投じて出家し、まず法華、維摩を誦して具足戒を受けたが、教門の多種多様であるのは、機によるからであることを感じ、妙開律師とともに大蔵を調べた結果、観無量寿経を手にし、解脱の道を求めた。次いで道綽法師が […]

玄奘三蔵

中国洛州(現・河南省)の出身、姓は陳、父は慧といい、玄奘は四男。次男は出家し、浄土寺に住しており、涅槃経や摂大乘論を講ずる機会にあい、ことごとを会得したため、仏学研鑽を志す。当時、隋代末期にあたり、世情は混乱しており、諸 […]

瑩山禅師

螢山禅師は文永5年10月18日(1268年)越前の国に生まれ、8歳で永平寺に入り、孤雲懐奘禅師の指導を受け、剃髪し禅学を修め、後、徹通義介禅師について菩薩戒を受ける。初め宝慶寺の寂円禅師に参じ、ついで比叡山で天台の学を修 […]

達磨大師

禅をインドから中国に伝えたことにより、中国禅宗の祖といわれる。南インドのカシ王の第3王子として生まれ、般若多羅の法を嗣ぎ、6世紀初め中国広州へ渡来した。ここで、梁武帝と会見したが失敗に終わり、つづいて長江(揚子江)を渡り […]

役小角(役行者)

舒明天皇の6年に大和国に生まれ、幼くして聡明で、広く典籍を求め、教義に精通し、三宝に帰依した。後、大和の生駒山、紀伊の熊野山で苦行し、30歳の時、葛城山に登り、孔雀明王を安置して修行した結果、神験を現す。文武天皇の2年、 […]

大権大師

大権修理菩薩の略称。禅宗で仏殿に安置する護法神。右手を額に持っていき遠望する姿勢で、帝王の服をつけている。もともと育王山(中国浙江省寧波市招宝山)にインドのアショカ王が舎利塔を建立した際、塔を護るため中国に渡ってきた護法 […]

角大師

慈恵大師が疫病神退散のため、自ら観念三昧に入り降魔の姿に変えたもの。流行病、疫病の神様。

伝教大師

伝教大師は1160年前、近江国滋賀の郷土津首百枝の一子として誕生。先祖は中国後漢の孝献帝で、大師の父百枝は帰化後、三津の姓を賜わって滋賀の地に住した。大師は、4歳の時修学に志し、7歳の時には、仏道をはじめ、易学、医学、工 […]

役行者(役小角)

舒明天皇の6年に大和国に生まれ、幼くして聡明で、広く典籍を求め、教義に精通し、三宝に帰依した。後、大和の生駒山、紀伊の熊野山で苦行し、30歳の時、葛城山に登り、孔雀明王を安置して修行した結果、神験を現す。文武天皇の2年、 […]