伝教大師

伝教大師は1160年前、近江国滋賀の郷土津首百枝の一子として誕生。先祖は中国後漢の孝献帝で、大師の父百枝は帰化後、三津の姓を賜わって滋賀の地に住した。大師は、4歳の時修学に志し、7歳の時には、仏道をはじめ、易学、医学、工芸等に至るまで、ことごとくその奥義をきわめ、13歳の時、大安寺の行表和尚にしたがって出家し、法名を最澄と名づけられた。最澄は、平城京において僧侶の寺院生活が空虚で、堕落した状態であった為、19歳の時、真の仏道修行によって悟りの境地に進もうと、比叡の奥深く隠れて修行した。31歳の時、朝廷に召されて内供奉の役に補せられ、玉体加持の名誉をになった。また、朝廷より入唐求法の命を受け、遣唐大使藤原葛野麿、副使石川道益の一行および空海とともに入唐し、中国天台山に登って道邃和尚より、天台の奥義を伝え国清寺の惟象和尚より密教の相伝をなし、禅林寺の脩然より禅の相承をなし、帰国後、あらたに日本天台宗を開宗し、比叡に精神文化の道場をきずき当時の国民を指導した。また、のちに起こった鎌倉時代の新仏教の祖となった。大師は、晩年に至るまでの間に註法華経十二巻、註金光明経五巻、註仁王般若経三巻、註無量義経三巻等、数十種の代表的著述を公にした。比叡山中道院において56歳を最後とし、のち、伝教大師と諡号を賜わった。