一百八臂金剛蔵王菩薩

金剛界曼荼羅では賢劫十六尊の一として普賢菩薩の後に住し金剛蔵菩薩と称し、 胎蔵界曼荼羅では虚空蔵院の右端に位し、金剛蔵王菩薩と称す。 金剛サッタの変化身として広大無辺なる金剛サッタの功徳を表示する菩薩。

釈迦が出家のため王宮を去るとき白馬に跨って出て行きます。人々にとって、昔は農耕や交通で重要な役割を果たしていたため、寺社への奉納は馬で行われていました。

阿弥陀如来三尊

阿弥陀如来三尊とは三尊様式で左右の脇侍は一般に左側に観音菩薩、右側に勢至菩薩を配置する。来迎の弥陀三尊では観音菩薩が往生人が座る蓮台を捧げ、勢至菩薩が合掌で表現している。わが国最古の弥陀三尊は舟形一光背に三尊仏を配置した […]

阿弥陀五尊図

阿弥陀三尊の場合は阿弥陀如来を中心に観音菩薩・勢至菩薩の脇侍を配し、五尊では更に法然上人、善導大師を配す。

阿弥陀聖衆来迎図

臨終の信者を極楽浄土へ迎えるため、阿弥陀如来と聖衆が楽器をならしながら天空から降りてくるさま。阿弥陀如来は観音・勢至菩薩の先導のもと、二十五菩薩を従えている。阿弥陀如来聖衆来迎図は来迎引接曼荼羅または阿弥陀二十五菩薩来迎 […]

一遍上人

時宗の開祖。延応元年伊予生まれ。父は河野道広、幼名を松寿丸といい、15歳の時母を亡くして剃髪し、名を隋縁とした。当初、天台の学を学んだが、後、筑紫の大宰府に行き 聖達の門に入り念仏の奥義を学び、名を智真と称した。弘長3年 […]

栄西禅師

明菴 栄西(みんなんえいさい・ようさい、諡は千光国師、葉上(ようじょう)房とも称した。永治元年4月20日(1141年5月27日) – 建保3年6月5日(1215年7月2日))は、仏教宗派・日本臨済宗の開祖、建 […]

役小角(役行者)

舒明天皇の6年に大和国に生まれ、幼くして聡明で、広く典籍を求め、教義に精通し、三宝に帰依した。後、大和の生駒山、紀伊の熊野山で苦行し、30歳の時、葛城山に登り、孔雀明王を安置して修行した結果、神験を現す。文武天皇の2年、 […]

役行者(役小角)

舒明天皇の6年に大和国に生まれ、幼くして聡明で、広く典籍を求め、教義に精通し、三宝に帰依した。後、大和の生駒山、紀伊の熊野山で苦行し、30歳の時、葛城山に登り、孔雀明王を安置して修行した結果、神験を現す。文武天皇の2年、 […]

安倍晴明

921年(延喜21年)に摂津国阿倍野(現・大阪市阿倍野区)に生まれたとされる。幼少の頃については確かな記録がないが、陰陽師賀茂忠行・保憲父子に陰陽道を学び、天文道を伝授されたという。948年(天暦2年)大舎人。960年( […]

足利義満

足利 義満(あしかが よしみつ)は室町時代前期の室町幕府第3代将軍(在職1368年 – 1394年)である。父は第2代将軍足利義詮、母は側室の紀良子。封号は日本国王。 南北朝の合一を果たし、有力守護大名の勢力 […]

宇賀姫

宇賀神王陀羅尼経などの説から、蛇を宇賀神とし、財宝の神とした。蛇を神の使いとし、蛇頭人身の像となり、弁財天と混合されて祀られることが多い。

秋葉権現

宝亀9年(779年)生まれ、名を周国(かねくに)といい、幼少で出家。新潟県栃尾市蔵王堂の院坊に住し、飯綱権現を信仰する修験道者であった。通称、小柄であったことから三尺坊と呼ばれた。不動三昧法満願の時、護摩の火焔の中に金色 […]

飯綱権現

南北朝時代に京都醍醐寺の俊源が高尾山(東京都八王子付近)に入山し、不動明王を勧請して護摩供を行い、飯綱権現を感得したとある。以後、高尾山が飯綱権現信仰の中心となるが、もともと飯綱信仰は信州の飯綱山、戸隠山を中心とした地域 […]

天照大神

太陽を神格化した神といわれる。また、一説には邪馬台国の女王、卑弥呼ともいわれる。イザナギ・イザナミからアマテラス、ツクヨミ、スサノオの三神が生まれる。アマテラスは高天原を統治していたが、スサノオの乱暴に遭い、「天岩戸」に […]

大国主神

大国主神は大物主神の別霊で、国を作ったという尊称、若いころの名前(本名)は大己貴神という。

大己貴命

大国主神は大物主神の別霊で、国を作ったという尊称、若いころの名前(本名)は大己貴神という。

大物主命

別名、三輪明神。大国主は少彦名神とともに国造りをしていたが、少彦名が常世の国に去り、一人悩んでいたとき、自らの魂から大物主が現れ、一体となって国造りに励む。大物主と勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)の間にヒメタタライスズヒ […]