行基菩薩

天武天皇の白鳳13年15歳で出家し、大和の薬師寺に入り、法相の学を修める。持統天皇の朱雀7年24歳のとき、徳光法師に従い具足戒を受けたが、母没後は諸国を歴訪し大衆の化導につとめ、法相論だけでなく浄土往生、兜率上生等も説いて回った。諸国巡化の折は、行基の姿を見れば、戸内におるもの全てが出迎え、法を聴かんとし、諸国にあっては寺院建立、橋梁建設、道路開通など多くの社会貢献を行い師を慕うもの多かったといわれる。長谷寺十一面観音の開眼供養、摂津の昆陽寺建立、昆陽寺の十一面観音及び瑠璃光仏の自刻、有馬温泉を開く等を行い、天平15年聖務天皇のとき、昆盧遮那仏造立の志をもって全国を勧進し、東大寺国分寺建立にも尽くしたが、749年、平城京大仏の建立を見ずに80歳で示寂した。