興教大師

興教大師は新義真言宗の開祖で、肥前の国藤津郡鹿島に誕生し、諱は覚鑁正覚房といい、のち、密厳尊者と称した。桓武天皇の後胤で、早くより仏門に入ることを志していたが、十歳の時父を失い、無常を感じ、京に上り仁和寺の成就院大僧正寛助の室に入って出家得度した。その後東大寺の戒壇院に登って具足戒を受け、また、最禅院の明寂、並びに青蓮より教えを受け、千日を期して長足院に修行した。二十七歳の時ふたたび仁和寺に帰り、大伝法院と密厳院を興し、落慶供養には、鳥羽上皇から、七ヵ所の荘園と砂金千両を賜わった。その後、密厳院に退き、修禅観法に余念なく、密厳院発路懺悔の文を著わして、新主義の宣揚につとめたが。晩年、上人は根来山に一乗山円明寺を建て、観念修行に日を送った。のち、興教大師の諡号を賜わった。上人の著書は、密厳諸秘釈十巻、密厳遺教四巻、浄菩提心私記、父母孝養集等である。