聖徳太子

聖徳太子は約1400年前,用明天皇の第一皇子として誕生。厩戸の皇子と称される。2歳の2月15日(仏涅槃)に東に向かって「南無仏」と唱5歳の時文筆書法を学び幼少から聡明であった。推古天皇の即位に伴い、21歳で摂政の位につき […]

日隆上人

日隆上人(1384~1464)を派祖とするものは、八品派、本門法華宗、法華宗本門流などと呼称される。1400年代初め四条門流から細川満元の外護を得て独立、本厳寺、本興寺を開いた。八品主義の折伏弘通を行う。

日蓮聖人

安房国東条郷(今の小湊)の生まれ、幼名を善日麿と称し、十二歳の時千光山清澄寺に登り、道善の室に入って密学を修め、のち、剃髪して、名を蓮長と改めた。以来経論を精究し、無量義経に質疑をいだいて、鎌倉に遊学し、比叡山の尊海に会 […]

栄西禅師

明菴 栄西(みんなんえいさい・ようさい、諡は千光国師、葉上(ようじょう)房とも称した。永治元年4月20日(1141年5月27日) – 建保3年6月5日(1215年7月2日))は、仏教宗派・日本臨済宗の開祖、建 […]

行基菩薩

天武天皇の白鳳13年15歳で出家し、大和の薬師寺に入り、法相の学を修める。持統天皇の朱雀7年24歳のとき、徳光法師に従い具足戒を受けたが、母没後は諸国を歴訪し大衆の化導につとめ、法相論だけでなく浄土往生、兜率上生等も説い […]

慈恵大師(良源)

慈恵大師良源上人(912-985)は、第18世天台座主として活躍し、日本天台宗中興の祖といわれる。近江国(滋賀県浅井郡)に生まれ、神童の誉れ高く、12歳で比叡山の理仙上人に師事して得度された。平安時代後期は末法思想が流行 […]

弘法大師

弘法大師は、讃岐の国多度津郡屏風ケ浦すなわち今の善通寺に誕生し、諱を空海と呼び、号を遍照金剛と称した。十八歳の時京に上って大学に入り、一般の学問を修めつくし、みずから三教指帰三巻を著わした。二十歳の時剃髪して沙弥戒を受け […]

理源大師

832(天長9)~909(延喜9)真言宗小野流の元祖。当山派修験道祖、醍醐寺開祖。光仁天皇の孫。847年、貞観寺真雅の下で出家し、853年、東大寺で具足戒を受け、874年、醍醐寺を開山。如意輪、准胝観音を安置し密教修行の […]

興教大師

興教大師は新義真言宗の開祖で、肥前の国藤津郡鹿島に誕生し、諱は覚鑁正覚房といい、のち、密厳尊者と称した。桓武天皇の後胤で、早くより仏門に入ることを志していたが、十歳の時父を失い、無常を感じ、京に上り仁和寺の成就院大僧正寛 […]

龍樹菩薩(龍猛)

龍猛、龍勝ともいう。2世紀中葉~3世紀中葉。南インドのバラモン出身。大乗経典の注釈書(大智度論など)を多くを著し、後の仏教に影響を与え八宗の祖師と仰がれる。密教では南インドの鉄塔を開いて、両部大経を金剛サッタから授けられ […]

法然上人

法然上人は美作の国、押領使漆間時国の一子で、幼名を勢至丸といい、九歳の時、父の遺命により出家を志し菩提寺の観覚の弟子となった。のち十五歳の時叡山に登り持宝院の源光をたずね、源光の推薦で、功徳院の皇国阿闍梨の室に入り、天台 […]

忠宗大神

感謝と感激の心で誠を尽くすこと、すなわち「まること」の精神でもって生きることを教える黒住教の教祖。

善導大師

善導ははじめ明勝法師に投じて出家し、まず法華、維摩を誦して具足戒を受けたが、教門の多種多様であるのは、機によるからであることを感じ、妙開律師とともに大蔵を調べた結果、観無量寿経を手にし、解脱の道を求めた。次いで道綽法師が […]

玄奘三蔵

中国洛州(現・河南省)の出身、姓は陳、父は慧といい、玄奘は四男。次男は出家し、浄土寺に住しており、涅槃経や摂大乘論を講ずる機会にあい、ことごとを会得したため、仏学研鑽を志す。当時、隋代末期にあたり、世情は混乱しており、諸 […]

瑩山禅師

螢山禅師は文永5年10月18日(1268年)越前の国に生まれ、8歳で永平寺に入り、孤雲懐奘禅師の指導を受け、剃髪し禅学を修め、後、徹通義介禅師について菩薩戒を受ける。初め宝慶寺の寂円禅師に参じ、ついで比叡山で天台の学を修 […]

達磨大師

禅をインドから中国に伝えたことにより、中国禅宗の祖といわれる。南インドのカシ王の第3王子として生まれ、般若多羅の法を嗣ぎ、6世紀初め中国広州へ渡来した。ここで、梁武帝と会見したが失敗に終わり、つづいて長江(揚子江)を渡り […]

役小角(役行者)

舒明天皇の6年に大和国に生まれ、幼くして聡明で、広く典籍を求め、教義に精通し、三宝に帰依した。後、大和の生駒山、紀伊の熊野山で苦行し、30歳の時、葛城山に登り、孔雀明王を安置して修行した結果、神験を現す。文武天皇の2年、 […]